映画「彼らが本気で編むときは、」

「彼らが本気で編むときは、」生田斗真さんがトランスジェンダーMtF)役ということと、前評判の良さで、見たい!と思ってた。公開終了直前に滑り込んでみました。

 

こんな人にオススメ

  • LGBT問題に関心がある(直球)
  • 家族再編もの感動ストーリーが好き
  • 映画をそのまま素直な気持ちで見れる、けどこれがすべてと信じ込まない

 

あらすじとしては、

母親が恋人を作って出て行ってしまった小学生のトモは、叔父の家に行くことにするが、叔父(マキオ)は恋人と住んでいるという。実はトランスジェンダー女性という彼女(リンコ)とトモの関係はどうなるか。

 

えーと、とりあえず役者さんはすごくよかった。生田斗真さん、本当にかわいい。お話も、最終的には、トモの家庭の問題を見つめることと、トランスジェンダーへの偏見を乗り越えた心の交流とは、というところで美しく終わっていく。

…んですけど…いや、泣いたんですけど…。あの、病院のシーンで号泣してるんですけど。あと、リンコの母がいう「娘が一番大事だから」も感動したんですけど。ですけど、あのね、あまり現実味を感じなかったんですよね。そんなにトランスジェンダーさんと交流する機会って(自分には)ないから、そこが現実味ねーんだろって言われたらそうかもしれないんだけど、それは「お話」だろって思ってしまって。以下、気になった点、ちょっとネタバレかもだけど本筋じゃないからゆるして。

①トモがリンコを傷つけたあと、リンコは事故にあって、男性と相部屋の病室に入れられます。ここで二人は仲直りできるんだけど。そんなちょうどのタイミングで事故にあったりしますか?人間そんな簡単に事故に合わないですよ(たぶん)。合わないから、普通の日々が続くから、傷つけた相手にうまく接することができなくて苦悩するのが人間でしょ。まあ、どうせ仲直りするんだから、ドラマチックにするのが映画なんだと言われるとそうかもしれない。

②トモは、リンコをさげすんだ同級生の親を攻撃します。うーん…。あの年の子供って、そんな簡単に大人を攻撃できますか?リンコはトモにとってずっと一緒に過ごした親でもなくて、会ったばかりの人ですよね。でも好きだから、さげすまれたら腹立つとは思う。だからといって、口で言い返すでもなく、あんな攻撃をする勇気まで出ますか?簡単にそんなことはできないから、子供って、(○○はこんなことを言われてしまうものなんだ)(人間はこんなひどいことを言うんだ)(自分は○○のために何にもできなかったんだ)っていう、複雑な心の傷を抱えてしまうんだと思うんです。まあ、トモは強い子!っていうキャラとして理解すればいいのかもだけど。

③そもそも、イマドキ偏見ってあんなにあからさまなものですか?いや、偏見って絶対あって、でもそういうのって当人の目に見えないところ(陰口)とか、避けたり無視したりとか、ちょっとした言葉の節々とか、そういうとこに出てくることの方がずっと多いと思うんですよね。で、そういうのに少しずつ傷つけられるもんだと思うんですよ。なのに、この映画の世界ってあからさまな差別と、あからさまな許容(リンコの母や同僚など)の二極しかないように見える。まあ、極端というわかりやすい世界を描いたのかもしれないけど。

追記: あからさまな差別が(おそらく)減っているとしても、それがないかのような書き方はよくなかったなあ。あるところにはある、というのも認識しています。

さらに追記(2018.4.): 今見たら、許容って言葉、全然良くなかったなあ。(自分の中の、恥ずべき思考に気づき、反省しています…)。受け入れる、の方が正しい。認めるとか許すとかじゃなくて、そうなんだね、という、ただありのままに受け入れること。受容と言えば良かっただろうか。言葉は難しい。(追記ここまで)



③トモの同級生のホモセクシャルヘテロセクシャルの対義語として)?と思われる子。なんでトモにあんなに心開いてるんだろう?よっぽどでないと、自分へのイジメの原因になっていると思われるようなことを打ち明けられないとおもうんですけど…。しかもまあまあトモ、冷たくない? まあ、トモとあの子の絆は物語外で既に強いんだろうな。

④コンビニオニギリ嫌いエピソードがまた、ドラマのために取ってつけてないか?子どもの頃からずっと食べてるもの(しかも主食)が実は嫌いって?食べなくなって時間が経って、嫌な思い出の味にでもならない限り、違和感なく食べちゃうと思うんだけど。まあ、リンコのご飯食べて、コンビニオニギリはもう思い出の味になったのかな。

⑤さして関係性の無い子供に「おっぱい大きくなった?」とか素でセクハラかます女性への好意的な描かれ方が違和感。これだけは納得する要素がまだ見つからん。女が女にしたらセクハラじゃないわけじゃねーぞ。

⑥自殺未遂するほど心の傷を負った子供にはどんな救いがあるんや…。

 

 

…という、勝手なモヤモヤでいっぱいになってしまって(書き始めたら思ったより長くなって笑った)。何か作り手に都合のいいわかりやすい世界なのだなあ、と。しかしそれは(心の準備ができていない)観客にも都合がいいのか?だからしょうがないのか?

 

「女性」「男性」というジェンダーが一面的すぎる(「女性」は料理ができて編み物ができて胸があってやわらかな雰囲気でないとダメなんか?)との批判も見ました。まあ、それもわかる。ただ、ジェンダーも頭の中の産物だから、「「女性」になりたい」と思ったら女性としてのステレオタイプを極める気持ちもわかるから。逆に、「「女性」から自由になりたい」と思ったら、「男性」ステレオタイプに近づいちゃうとこもあるし。繊細なことで難しいね。

 

結論として。ジェンダーLGBT問題に、いろいろ思いがある人には、納得できない!みたいなとこもあると思うけど、一つの問題提起としてみれば素材の一つではある。あと、トランスジェンダーのことあんまり知らない人には、わかりやすくてとっつきやすい作品だとも思います。なんか渋谷区が啓発に使うとか?だから、これくらいわかりやすいほうがいいのかもしれない。

批判については、もっとごもっともで考えさせられるのあるからそちらで。もっと胸をえぐるリアリティのある物語は、これからなのかもね?