クィアということ

クィアの定義がいまだにわからない。そもそもないという話もあるけど。

狭義にセクシュアルマイノリティー(性別・ジェンダーセクシュアリティ…すべてにおける)とされているけど、人種や民族に拡張する動きもあるとか?

クィアはもともと「奇妙、異常」とかいう意味なんだけれども、「社会的な規範」に照らして「奇妙、異常」とされるということ自体に、問題提起する用語…という意味合いが強そうだ。

で、ここでちょっと思ったのが、いわゆる「腐女子」って「クィア」の俎上にあるよな…ということ。(別にここで腐女子論展開しないですけど、このブログではちょっとそういう要素あります!)

 

まあそれはともかく、エンターテイメントをクィアする(という動詞の使い方でいいのかわからんが)とき、「映画○○は実は(気づきにくいが)同性愛を描いている」とか「○○の主人公は実は(明言されていないが)セクシュアルマイノリティー」とかいう議論をすることが多い気がするのだが、

例)「アナと雪の女王」のエルサは同性愛者(魔法を使えることを隠しているのは、カミングアウトできない同性愛者の表現)

①作者がそれを意図していて受け取り手が共有できてよかったね、なのか、②見事に載せられたね、なのか、

③作者は意図してないのに深読みしすぎ、なのか、④作者も意図しない社会的な問題を読み解くアプローチ、なのか、

この手の議論がよくわからなくなる。

④「作者も意図しない社会的な問題を読み解く」ことができているのなら、それはクィア理論の成功だと思う。①はそれはそれで、エンターテイメントを教材としてクィアを問題の俎上にあげることには成功しているからその範囲では意味がある。それぞれの裏返しに②③がある危険性はまあ自覚的であるに越したことはないな、特に③。

 

…ということで。これ全部前置きなんですよ(驚愕)

 ということで次の記事でクィア的MVまとめ。