映画「テルマ」

ノルウェーの青春ホラー「テルマ」ちょっと無理してみてきました。
テルマは親元を離れて暮らす敬虔なキリスト教徒の女子大生だが、親はテルマに頻繁に連絡をとったりと過保護気味。あるとき彼女は突然、原因不明の痙攣の発作を起こす。そのとき居合わせた同級生の女性アンニャと仲良くなり、お酒を飲んだりキリストの悪口をいうなど開放的になっていくなかで、アンニャに特別な気持ちを抱き始める。クリスチャンとして堕落していく自分と抗うなかで、テルマの発作は超常的な力を帯びていく…。テルマに隠された秘密とは。
というお話。

こんな人にオススメ
クィア(百合)好き(直球)
・あるべき自分とありのままの自分との葛藤がある
・あるいは子育てのむずかしさ(ほんとか)

以下ネタバレあり。
まあ相変わらず、恋愛ものを解さない自分はいた…。なんでや、なんで好きになるんや…。と思いつつ、テルマの場合アンニャに出会った時から力を発動してるので、もう一目ぼれみたいなものかな。アンニャは、やっぱりテルマの願いによってテルマを好きになってるんだろうか。まあそれでも本人の意思でも、大して違わないけど。
結構早いうちで、泣いちゃったんだけど、たぶんそれは親に愛されないということが辛かったからだと思う…。私、本当に「必要とされない」話が辛くてですね…。
でも、テルマのやってること結構ヤバくて、あんなことされたら親もそりゃテルマを野放しにはできないよね。そりゃほんま親としてはつらい経験してるよマジで。愛してるから、矯正しようとする、というのは象徴的ですが。
でも、テルマの揺れ動き方がよく理解できなくて、自己嫌悪で自分なんてどうなってもいいのかと思えば「解放して」って…?どっちなん?となったので、あんまり話に納得はしていない。

ただ、これは子供の親からの自立なのだ、テルマは、というより、人は願えばかなえられるものなのだ、という読みはなるほどと。
で、それは個人のというより、社会の問題に置き換えてもいいかもな。キリスト教的な…というと一面的だけど、つまり規範により抑圧してくる社会。そこに甘んじていると楽なんだけど。で、ここで社会から認められるには、不正な他者を蹴落とさねばならない。しかしそれによって、自分で自分への抑圧を強めることになる。こういう世界で、同性愛とか象徴的だけど、規範にはずれた生き方を希求すると、個人主義化せざるを得ない。それは社会から外れるということへの強い葛藤を伴いながら、社会を「焼いて」個人を解放する、個人主義化された生き方の実現へ…という話だったのかもしや?
いやわかんないですけど。でもオチ的には、「好きに生きればいい」というメッセージなのかなと。
そういう意味では、見ると救われる…かも。

妄想が過ぎた。